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ラベル 医学切手徒然草-3.人工がんを世界で最初に作り出した山極勝三郎- の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
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2023年12月26日火曜日

医学切手徒然草-3.人工がんを世界で最初に作り出した山極勝三郎-

山極勝三郎(1863~1930)は、ひたすらウサギの耳にコールタールを塗擦し続けるという地道な実験を助手の市川厚一(1888~1948)と共に、実に3年以上に渡って反復実験を行い、1915年にはついに世界で最初の人工癌の発生に成功します。


当時癌の発生原因は不明で、主たる説に「刺激説」「素因説」などが存在していいましたが、山極は煙突掃除夫に皮膚癌の罹患が多いことに着目して刺激説を採り、実験を続けて前者の「刺激説」の有力な根拠となったわけです。


1920年代において、山極による人工癌の発生より先駆けて、デンマークのヨハネス・フィビゲルが寄生虫による人工癌発生に成功したと発表しています。


当時からフィビゲルの研究は一般的なものではなく、山極の研究こそが癌研究の発展に貢献するものではないかという意見が存在していたにもかかわらず、1926年にはフィビゲルがノーベル生理学・医学賞を受賞することになります。


しかし1952年アメリカのヒッチコックとベルは、フィビゲルの観察した病変はビタミンA欠乏症のラットに寄生虫が感染した際に起こる変化であり、癌ではないことを証明しています。


従って現在、人工癌の発生、それによる癌の研究は山極の業績に拠るものと断言できます。


今日では山極と市川の研究こそがノーベル賞にふさわしい業績であったことが実証され、世界的に評価されています。


1919年、「癌腫の人工的発生研究」により学者として最高の帝国学士院賞(現在の学士院賞)を山極と市川はともに授与されることになります。


余談となりますが、山極の三男の山極三郎は北大農学部に進学し、市川に学び、市川の病気退官後、比較病理学教室の市川の職を引き継ぎ、同教室の二代目の主任教授となっています。


2016年12月17日、監督 近藤明男、遠藤憲一(山際勝三郎)、水野真紀(山際かね子)、岡部尚(市川厚一)キャストにより『うさぎ追いし -山極勝三郎物語-』が公開されています。


丁寧に描かれた知られざる偉人山極勝三郎と市川厚一の業績と人間性に感動を覚える作品に仕上がっています。


鑑賞する価値はありますので、ぜひともご覧ください。




人工がんを世界で初めて作り出した山極勝三郎の切手は、残念なことに未だ発行されていませんので、『第25回日本医学会議開催記念印』に描かれた彼の肖像と、がんができたときに読んだ彼の詩作『癌出来つ 意気昂然と 二歩三歩』が描かれたものを紹介しておきます。






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